日本伝統濁酒研究会が目指す“酒づくり”

 
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日本伝統濁酒研究所代表 右田圭司によるレポート
【日本伝統濁酒研究会が目指す“酒づくり”】2021年3月

 
=はじめに=
私右田圭司は、この30数年来、きき酒師制度の創設を手始めに、SOC(伝統的原産地呼称日本酒)や日本酒輸出機構の立ち上げ、それらを活用して日本酒の海外への積極的な売り込みを図りました。さらに、きき酒師の認定試験やセミナーの開催、海外展開等を、SSI(日本酒サービス研究会・酒匠研究会連合会)の創立メンバーである木村克己氏や田崎真也氏らとともに、進めてきました。
また福島二本松・大七酒造の伊藤杜氏や福島会津・末廣酒造の小林杜氏、醸造試験場の吉澤先生など、大勢の先達や顧問の方々のご指導をいただいて、4タイプ別(薫酒・爽酒・醇酒・熟酒)の飲み方や料理との相性についても、新たな提案を行うなど、日本酒の素晴らしさのPRと普及活動に邁進してまいりました。
しかし、そうした努力にもかかわらず、日本酒の評価を大きく高めるまでには至りませんでした。
 
何故だろうか。疑問に思った私は、立教大学の大学院に籍を置いて、亀川雅人教授のご指導の下、故高橋篤氏から頂いた資料や文章を元に、日本酒の規制産業としての側面に焦点をあてて、考えてみました。(2015年右田圭司:規制産業として産業特質と経営革新~清酒製造産業の経営史的研究~)
論文にまとめる過程で気づいたのは私自身の過ち、すなわち「ほんものの日本酒はなにか」という根本的な問題に関して、自身の調査・研究と考察が欠けていたことでした。ワインなど他の醸造酒と比較して、日本酒の原産地呼称運動には、メーカーや業界団体への迎合や馴れ合いが入り込んでいなかったか、他方消費者に対しては、本当の意味での情報公開ができていなかったのではないかと、思い至りました。
もう一度原点に戻ろう、その思いから本来の日本の酒である濁酒(どぶろく)の研究を始める決意をしました。3年前に故郷の山口県に戻って、どぶろく特区と免許を取得し、仲間たちと一緒にどぶろく造りを始めています。いわばレフェリー役・宣伝係を離れて、プレーヤーの世界に足を踏み入れたのです。
試行錯誤の中で感じるのは、どぶろく造りのなんと楽しく、出来上がった生のどぶろくのなんと美味しいことか、驚嘆するばかりです。この楽しさと美味しさこそ、日本酒の原点だと確信を深めています。
日本酒とともに歩んできた私の人生の最終章として、過去の勉強不足や失敗をみなさまにお詫びすると同時に、改めて「ほんものの日本酒」を知っていただくために、正しい知識と理解に資する拙文をまとめてみました。ご一読いただければ幸いです。
 

  日本伝統濁酒研究所 右田圭司
真の日本の酒を生み出す情報公開
ほんとうの日本の酒づくり
SSI 創設者 /NPO FBO 理事長
㈱日本伝統濁酒研究所 代表
右田 圭司

 


 もくじ

1.酒造りの歴史 >>詳細はこちら
日本の酒は古来、濁酒・どぶろくであった。すり潰したり、濾したりして、飲みやすくする工夫が重ねられてきた。同時にどぶろくの魅力は、生活に根付いた発酵食品であることだ。子どもからお年寄りまで、酒が飲めない人も楽しむことができる食品であることを忘れてはならない。
 
2.日本の酒は、税源のターゲットになった >>詳細はこちら 
明治から昭和の時代、日本酒は戦争遂行の税源となり、やがて酒の造り方はどうでもよいという時代がやってきた。コメ一粒も使わない合成清酒も開発された。アルコールであれば税金をとれる、酔えれば中味を問わない、悪酒が良酒を駆逐する時代だった。
 
3.日本酒の危機 >>詳細はこちら
太平洋戦争後も大量生産大量消費の風潮に乗って、添加物だらけの酒が出回った。酒の名を冠した「そそのかしビジネス」である。税源確保のための酒税法はあっても、未だ文化として酒造りに関する法律は、我が国には存在しない。
 
4.日本人と酒 >>詳細はこちら
日本人の大半は、アルコール分解酵素を持たないとされる。自然に醸造された酒は、一定量を超えると身体が受けつけなくなるが、蒸留酒を加えた混成酒は、ストップがかからない。
 
5.伝統文化としての酒造りを守る >>詳細はこちら
醸造した酒と混成酒を、同じ日本酒・清酒と表示することは、国際的に非常識である。まがいものではない、世界に通用する日本の酒として認められるには、醸造酒は日本酒、混成酒は清酒と分けることが、最低限のルールだ。
 
6.伝統的な日本酒、濁酒の復活 >>詳細はこちら
伝統文化としての日本酒の評価を高めるために必要なステップは、地域性の再発見である。それぞれの気候・風土の中で育てられた米と地域の乳酸菌、麹菌、酵母、そしてその土地の水を使うこと、自然の恵みを生かした酒づくりだけが、伝統的で豊かな日本酒を生み出すことができる。
 
7.原産地呼称制度、原産地証明が、醸造酒には必要不可欠 >>詳細はこちら
ワインに関して、厳密な原産地呼称制度が採られていることは広く知られている。どこで造っても同じ酒、同じ飲み口なら、原産地呼称はいらない。
地域ごとの伝統文化としての酒、地域の誇りである醸造酒を守るために、原産地呼称は必要なのである。
 
8.酒類製造業から、酒類教育指導業へ  >>詳細はこちら
各地の蔵元は、どぶろく特区を利用して多くの希望者に酒造免許の取得と実際のどぶろく製造を教育する。そうした試みが、多様な地域の酒文化を育み、
蔵元自らがつくる高品質の日本酒の価値も高めていくことにつながっていくはずだ。
 
9.世界の酒・日本酒をめざして~グローカルな日本酒へ~  >>詳細はこちら
日本酒の未来を切り拓いていくためには、まず大量生産・大量消費の幻想を捨て去ることだ。醸造酒と混成酒をきちんと仕分けして、醸造酒=日本酒、混成酒=清酒の枠組みをつくることも大切である。例えばスペインのワインとシェリーのように仕分けをすることによって、両方とも世界に通用する酒となることも可能になる。
地域の気候風土に根ざした少量多品種、高付加価値の酒づくりと、ほんものの日本酒にふさわしい価格で販売することが、日本酒の未来につながる道だと私は確信する。


レポート本文

1.酒造りの歴史
米が水田で安定的に作られるようになった紀元前10世紀ころの弥生時代から、米をつかった醸造酒はつくられていた。当時の酒は、加熱したコメを口でよく嚙み、唾液に含まれるジアスターゼという酵素で糖化した上で、野生の酵母によって発酵させる口噛みのにごり酒であった。
日本の酒の原型は、どぶろく(濁酒)だったのだ。
 
少し専門的に説明すると、発酵には糖分が必要で、糖分を含んでいるブドウなど果実やはちみつは条件が整えば自然に発酵するが、コメは本来糖分を含んでいないため、コメのでんぷんを糖化する手順が必要だ。
飛鳥時代に入ったころ、米麹を使った酒造りが始まる。米麹はでんぷんを糖化すると同時に、発酵に必要な酵母を増殖させる働きを果たすもので、これによって大量の酒を組織的安定的につくれるようになり、国家行事に用いる酒を製造する造酒司(さけのつかさ)という役所が置かれるようになった。
 
平安時代になると酒造りの中心は寺社に移り、さらに鎌倉・室町と貨幣経済が進むにつれて、商家の間からも自前の蔵で酒の製造をして、販売する「造り酒屋」が登場し、米と同様の経済価値の高い商品として流通するようになった。このように寺社や裕福な商家が、酒造りを担うようになった背景には、度々出される借金棒引きの徳政令や、酒造りの途中で乳酸菌が混入する腐造といったリスクに対して、米と人手を確保できる資本力が欠かせなかったためだった。江戸時代に入った17世紀初頭には、濁酒を濾す工程が加わって、現在の清酒に近い澄んだ酒が開発され、気候や麹、酵母、水の違いによってそれぞれの地域特性に合わせた酒がつくられていった。忘れてはならないのは、これら澄んだ酒を日常的に飲んでいたのは武士や裕福な商人たちで、庶民や農民が飲んでいたのは、ほとんどが濁酒・濁り酒であったということだ。高価な清酒と手ごろな濁酒が共存していた時代だった。

2.日本酒は税源のターゲットになった
日本酒を取り巻く環境が一変したのは、近代に入ってからだ。明治政府は、自由に酒造りができるようにしたものの、主な歳入のターゲットとして酒税に着眼し、酒造家への課税を強化していった。国家歳入の実に3割前後を酒税に依存し、日清・日露戦争の戦費の多くを酒税で賄ったといわれる状態であった。明治30年代になって、酒税のさらなる増収の目的でそれまで認められていた「どぶろく」の自家製造と消費が、全面的に禁じられた。2002年平成14年にいわゆる「どぶろく特区」が設けられるまで、100年以上にわたってどぶろくは、密造酒の汚名を背負い続けてきたのである。

3.日本酒の危機
日中戦争が始まると、日本酒はいっそう厳しい状況に追い込まれる。酒造用の米が削減され、満州や南方の戦地に送る必要もあって、増量と腐らない酒にするため、蒸留アルコールや各種の添加剤を加えた酒がつくられた。米を一粒も使わない合成清酒も開発された。アルコールであれば税金がとれる、酔えれば品質は問わない、まさに悪酒が良酒を駆逐する時代の始まりであった。
1945年、太平洋戦争が終わった後も、米の確保が難しい食糧難の中で、日本酒の受難の時代は続いた。本来の酒に、醸造アルコールやブドウ糖、乳酸、グルタミン酸ソーダなどを加えて、約3倍に増量した3倍増醸酒が登場してくる。
専門家からみると、とても日本酒とは言えない代物であったが、折からの大量生産・大量消費ブームと価格の安さに後押しされる形で、1970年代まで売り上げを伸ばした。
 
経済成長による所得倍増で、ビールやウイスキー、ワイン、焼酎など好まれる酒類の多様化が進み、1975年をピークに日本酒の販売数量は落ち込んでいく。暮らしの洋風化をはじめ、円高の進行や輸入酒の関税の引き下げなど、いくつもの要因が挙げられるが、最大の要因は一人当たりの飲酒量の減少であった。

4.日本人と酒
日本人は、DNAの解析によるとアルコール耐性が低く、人口の約40パーセントはアルコール分解酵素を持たないとされる。そのため有害物質を解毒する肝臓の働きで、アルコールを分解する人が多いという。添加物を加えない自然醸造の酒は、一定量を超えると人体の防御機能が働いて、それ以上飲めなくなるが、高濃度の醸造アルコールを加えた酒はそうではない。大量の酒を分解するために多くのエネルギーを使ってしまい、肝硬変をはじめ、多くの病気を誘発することにつながる。
本来、アルコールを摂取する最大の効用はストレスの解消であり、入浴をすることでも可能だ。入浴後に少量のアルコールをとることで、ストレスは大幅に改善されるだろう。元々日本人の体質に合っているのは、食前に少量ずつお燗をして飲む方法だった。一人ひとりの飲酒量が減る一方で、生活のシーンに応じて嗜む酒を変え少量を楽しむという最近の傾向は、日本人の体質に適した飲酒のスタイルに近づいてきたと言えるのではないか。
また、醪(もろみ)の中の溶けきれなかったコメの固形部分が残るどぶろくは、泥酔する前に満腹になってしまう、肝臓にやさしい酒である。健康を維持するための酒として、改めて見直されてしかるべき酒だと思う。
 

5.伝統文化としての酒造りを守る
ここ30年、各地で新しい酒米や酵母を開発するところが出てきている。日本食ブームと相まって、吟醸酒に代表される品質の高い日本酒の海外への輸出量が、増えてきた。
しかし近代以降の酒税法の規制だけが残ったまま、伝統文化を受け継ぎ、守っていくための酒の製造の定めを持たない状況は、変わっていない。級別制度だけは廃止されたものの、アルコールを加えた混成酒と本来の醸造酒を、同じ日本酒・清酒と表示する今の表示法は、世界的な基準からみると非常識である。
2013年、ユネスコの世界無形文化遺産に和食が登録されて、日本食の伝統文化は世界中で高く評価されている。和食の重要な構成要素である日本酒の価値を高めていくためには、醸造酒を日本酒、混成酒は清酒と区別して表示することが、最低限のルールである。

6.伝統的日本酒、濁酒の復活
伝統文化としての評価を高めていくために必要なステップは、地域性の再発見である。これまで見てきたように、本来の酒造りは、田植えや収穫などの農作業にあわせて、家人が仕込んでいた素朴な酒であった。地域性を大切にする酒造りとは、気候や風土など自然の力を活かした素朴な酒造りに戻ろうということに他ならない。
具体的に説明しよう。まず第一に、一切の添加物をつかわないことが基本である。人工の乳酸菌を使わず、まして乳酸などは加えずに、自然の乳酸菌を育てる生酛(きもと)で、酒を造る。人工の乳酸菌を使った速醸酒のスッキリとした端麗な味を必ずしも否定するものではないが、伝統の生酛づくりによるコクの深く芳醇な味わいは、格別である。
米麹も地元の麹をつかうべきである。麹の専門業者に相談して適切な麹菌を選べばよいし、ない場合には探して培養すればよい。酵母は自然に稲わらについているのが普通であり、培養酵母をつかうことは添加物を使うことになる。
醸造についても、ホーローやステンレスのようなタンクを使わず、木製の杉樽などをつかうことが大切だと思う。さまざまな麹菌、酵母も含む、様々な微生物が棲みつき、酒を醸してくれる。優良な酵母はとても強く、雑菌に負けることはない。現在も自然のままの伝統的な酒造りをしている酒蔵では、蔵の床や壁、樽の中に蔵付きの酵母が棲みついている。
もうひとつ、大切なのは水である。その土地の井戸水や湧き水を、加工しない状態でつかう。米と麹、乳酸菌・酵母、そして水のいずれの原料も、土地土地のものをつかうことによって、他の地域ではつくれない地域性が、はっきりと個性に刻まれたお酒が出来上がるのである。
 

7.原産地呼称制度、原産地証明は、醸造酒に必要不可欠
ワインに関して、厳密な原産地呼称制度が採られていることは、よく知られている。この原産地呼称は、経済活動の一環として知的財産権の問題と捉えられがちだが、地域の伝統文化の保護こそ、本来の目的であることはあまり知られていない。製造場所だけでなく、原料や製造方法、保管方法まで明確に定めて、伝統文化を守る砦とすることが、この制度の眼目なのである。
もう一度、言おう。伝統文化としての日本酒の評価を高めるためには、その土地に由来する米と麹菌、酵母、そして自然水を用いることが不可欠である。
 

8.酒類製造業から酒類教育指導業へ
日本酒の消費量が減少の一途をたどり、日本の人口自体も減っていく中で、日本酒の未来は明るくないという指摘は根強い。果たしてそうだろうか。
さまざまな形で日本酒の紹介に携わってきた私は、ひとつの提案をしたいと思う。各地の日本酒の蔵元が、それぞれの地域でどぶろく特区を取得して、地域の人たちにどぶろく製造の免許をとらせることを指導し、材料やノウハウを提供してあげる。酒の製造業にとどまらず、酒の製造教育指導業にも力を入れて、日本酒の文化の担い手になっていくという提案である。
 

9.日世界の酒・日本酒をめざして~グローカルな日本酒へ~
安値をベースにした大量生産・大量販売の時代は、もはや終わった。最近の消費者の間では、見てくれやブランドではなく、ほんとうに良質でほしいものを適切な価格で選んで購入するという考え方が、定着しつつある。
重要なことは、ほんものの日本酒の価値を認めてもらい、正当な価格で販売することだ。戦前の日本酒は、一升あたり現在の数倍の2万円から3万円という高値で取引されていた。少量生産された醸造「日本酒」ならば、希少性と付加価値の高さに見合った価格で販売することが、消費者に受け入れられるはずだ。
そして蔵元がサポートするどぶろく造りを通じて、大勢の人たちに日本酒のすばらしさ楽しさを知ってもらう。併せて土地の気候風土、地域の歴史までを学び、見つめ直す機会をつくることは、ほんものの日本酒造りに取り組む蔵元の存在理由を高め、長い目で見て酒造業の生き残りに役立つに違いない。
 
原料や商品のサプライチェーンが世界中に張り巡らされ、人と情報が駆け巡るグロバール化の波に対して、私たちがめざすべき道は、その土地の気候風土と伝統技術でしか生み出せないものをつくり、世界に通用する品質に高めていくことではないかと思う。ローカルに徹することによって、グローバルに存在感を示していく、そうした「グローカル」の取り組みがいま求められている。
地域に根ざし、その土地でしか味わえないどぶろくと、世界に誇る高品質・高付加価値の日本酒の二つのタイプの酒こそ、グローカルのネーミングにふさわしい日本の伝統技術と呼べるのではないだろうか。
30年ほど前、日本酒の師匠であった故高橋篤さん(新潟・金升酒造元会長)と世界にはばたく日本酒をつくりたいと語り合ったことを思い出す。機は熟しつつあるという思いは強い。